リリオスボックスでの展示販売スタート
レイキの先生、そして魂のおねえさんである
レイキスクール&サロン風の城 かおるさんにお声かけ頂いて
街と人々の集いと活動の場所としてオープンした
しんゆり交流空間 リリオス内
カフェ リリオスに併設されているボックスギャラリー
リリオスボックスで作品を展示販売させていただくことになりました
ボックスがある カフェリリオスでは
新百合ヶ丘の名ベーカリー
カンガルーのパンを使ったサンドイッチが頂けます
サンドイッチもさることながら
スコーンもアップルケーキもおいしく
おすすめの杏かんてん
杏もおいしい
かんてんもおいしい
お豆はしょっぱ甘いでおいしい
口の中にすべてもぐもぐすると
すっごいすっごいおいしいハーモニー
あんまり食レポは得意じゃなく
説明すればするほどわざとらしくなるようで、、、
(様子を懸命に写真におさめている 我が家のちいさいおじさん)
まだボックスはあきがあったりで
始まったばっかりといった感じですが
先週、カフェの定休日に納品に行った日から
作品たちはわたしの手から離れて
ここで自分たちの時間を育んでいることを
はっきり感じました
あの絵たちは
ほんとに生きているんだな
って あらためて深く感じました
なんとなくあるな。とか
じっと見てくださった方もいたかもしれない
そうやって人と空間と織り合わさって
絵ひとつひとつから放たれるひかりが変化して
必要な方の元に届くかもしれないし
またわたしに所に戻ってくるかもしれない
絵を描く
そして 手を放す
その真髄をみた素敵な時間でした
真新しい棚に
かおるさんの天然石ブレスレット
http://crystal.reiki-circle.jp/
陶芸家 高田リツ子さんのアロマペンダントなど
http://dairitsukotakada.wixsite.com/ceramicartist-healer
とともに
にじみ絵作品をお楽しみくださいね
にじみ絵のしおり ¥432
にじみ絵ポストカード ¥540
原画Sサイズ ¥2160
原画サイズ ¥2700
小さいスペースですので
展示作品には限りがありますが
その時々に必要であろう小さなひかりたちを準備して行きます
作品みたいけど
ひとりじゃちょっと不安
そんなときはぜひお声掛けくださいね
ランチやお茶をご一緒しましょう
ご希望あれば
他の作品携えて馳せ参りますよー!
あいをみる
先日電車の乗り換えで
人の流れにそろそろ乗って歩いていたら
わたしの後ろをあるく男性が連れの女性に
あー、おなかすいたね
って話しかけていて
女性が相づちのような小さな返事をしていて
なに食べようか?
と男性が語りかけながら
のろのろ歩くわたしをおいこしてゆきました
この時わたしは
あー、おなかすいたね
に含まれていたであろう女性に対する
親しみとか愛情とか
なんともいえないやわらかくあたたかいものを感じ
関係ないのに溶けてしまいそうなほど幸福でした 笑
わたしはもともと絵が上手に描ける。という特質はないと思います
中学の時に描いたスニーカーとか手のデッサンとか
まったくセンスが感じられなかったとおもいます
ただそれは自分で感じてることで
全く違う意識の人が見たら
それをどう位置づけるかはわかりません
わたし自身は
絵を描くのって好きで憧れがあるけど
たいして上手に描けないんだよな
という意識が根強くあって
こうして突き動かされるように絵を描き始めてからも
あー、下手くそだな。とか
あー、素敵じゃないな。って
あー、センスがない!!!って
そうやって絵を眺め続けてきましたが
よくよく感じてみると
ここの部分のにじみがすごくいい。と喜んでいたり
途中までよかったのにこの線が余計な一筆だったな。と後悔したり
さまざまなことが絵を通してあらわれていることに気づくのです
その小さなにじみやひろがりわたしに伝えてくれるのは
ありのままのわたしでした
イヤだな。という部分に出会ったとき
イヤだな。という感覚を受け止めつつ
なにがイヤなのかな
どうしてイヤなのかな
と、その感覚を大事に手に取りながら深めてゆくと
ふと、緩んで離れてゆく感じがします
どんな思いも否定せず抱きとめる
絵に映ったあらゆるもの
ひとつものがざすに
丁寧に丁寧に眺める
絵を描くのは一瞬のできごと
でもそこから発せられるあらゆるものを感じてゆく
いい、も わるい、も
わたしはどうしてそう感じているんだろう
そうやって眺めて眺めて眺めつくすと
小さな日々によりそうひかりを
見出すことができる
それはいつもいつも自分のなかにあり
いつでも発動できるよき決意というチカラ
この世界にはいろんなことが映し出されている
ときには目を覆いたくなることもあるけれど
愛をみるチカラは
わたしたちに希望を生きさせてくれるとおもうのです
この世界において
なーんにも役に立たないことかもしれない
まず、評価もされないでしょう
でもわたしは
小さな日々を描き
そこに寄り添うちいさなひかりで
この世界を灯し続けていきたいし
みしらぬあなたと出会いたいと思うのです
駅でふとすれ違った
あー、おなかすいたね。。とつぶやいた
あなたと愛でつながれて
わたしは心底しあわせでした
とどく ひかり
Art work とどく ひかり
深い 闇のふち それでも とどく ひかり
☆
なんでもない暮らしの中でふと感じる心地よさ
ふと吹き抜けていった風が気持ちいいとか
朝のベランダで晴れていることがうれしいとか
雨が降っていると何もしなくていいよと許されてるみたいとか
目があったちいさなたんぽぽが笑ってるようだとか
愛という感覚は
何をしていても
何をしていなくても
自然と降り注いでいるのであり
そんな心地よさ
そんな自然さの中に
静かにあたたかく存在している
すべてにまっすぐ届くひかりである。と
それは
どんなに深い闇の底にも届き
その一筋のひかりに
わたしたちはいつも誘われている
癒しとは
そんな小さな感覚からおこり
宝とは
そんな小さな感覚からうまれる
こちらの絵は
レイキスクール&サロン風の城 で展示されております
絵を眺める
絵を描くことは楽しいのですが
絵のたのしみはまだまだいっぱいあります
わたしが描く絵のほとんどは
絵の具と水の動き、はたらきに委ねた
水分を多くふくんだにじみ絵です
一筆入れてすぐさまに色が滲んでいく様子
次の一筆で色と色が混じり滲みゆく様子
それらが次第に乾いてゆく様子
そのひとつひとつを眺めていると
ふつふつと湧き上がってくるもの
じんわりと浮かんでくるものがあります
描いている時
筆を入れるのは一瞬ですが
その前後で
すごくたくさんのことを受け取っていると思うのです
それは目に見えない実態のないもの
それは言葉にならない理屈のないもの
でもそれらは本当にあるもの
いや、むしろ
それこそが本当の何か
1年ほど前に描いた絵を置いてみました
じっくり眺めてもいいし
日常の中でふと目に触れるもよし
あ、いいな。。って安心する絵です
わたしにとっては
いいよ
それで
いいよ
とゆるぎない何かが
ぴかぴかと伝わります
何を感じるかに正解はないし
同じ絵を見て
真反対の思いが湧き上がることだってあるでしょう
それは
受け取った方のほんと。ですから
1枚の絵から
1も10も100も1000も10000も
無限に放つひかりがあります
それをじっくり時をかけて
うけとることも
Art workの醍醐味と思っています
もし
あなたに話しかける1枚があれば
いつでも気軽にご連絡ください
絵を描く
絵を描き始めたのが2011年の春でした
絵を描いたことがない
そして描く才能がない(と、強く思い込んでいる)自分に
どんな方法なら絵が描けるのかしら?と
そんな時に出会ったのが
パステルで描く円の動画でした
そして江村先生が指導されるコースに参加して
パステルシャインアートセラピストとして
絵を描く活動をスタートさせました
江村先生といまだに親しみを持ってこんなふうに記事を書いていますが
お会いしたのはそのコースの3日間だけです
でも、あの3日間で頂いたエッセンスは
今もなおゆっくりと育ち続けてるように思います
当時は
アートセラピーで癒しの道を歩んでいきたい
その一翼を担いたいみたいな野望もあって
頑張って活動していました
だからこそ
もっと上手に
もっと何かを描かなくてはと
何を描くのか?という迷路に迷い込み
純粋に描くことに向き合えないような苦しさがあって
いつもいつも嘘をつきながら描いてるような気分もあって
すごく苦しい道のりでした
その苦さ
その痛さ
いま振り返れば
わたしには何が描けるのか?
わたしは何が描きたいのか?
という
何もない。力がない。という苦しみ痛みを
見つめて
受け入れて
手を放すことを知り
痛みを受け入れることで
はじめて自らを開くことができる感覚を知るにいたります
子育て、家事、仕事
そんな難儀な日常を切り離すことなく
逆を言えば
そんな小さな毎日を
目には見えない視点を使って
出来ること、出来ないこと
好きな人、嫌いな人
知っていること、知らないこと
感じて
見つめて
受け入れて
手放して
それがわたしにとって
絵を描くということ
なんじゃないかな
とおもっているのです
はじめまして、artwork リリカルです
はじめまして
artwork リリカル なかざとさおり と申します
2011年のはじめ 「絵が描きたい」と内側から響いた衝動
ちいさい、けれど強いその衝動に突き動かされて
落書き程度の絵すら描けないわたしが
「描きたい」けど「描けない」の葛藤を泳ぎながら
パステルシャインアート 江村先生に学び絵を描き始め
画家 八坂圭さんの絵を描くという本質、ひかり
そのエッセンスを受け取り学び
いま、わたしなりの「描く」を遊んでいます
何を描くか?に長くとらわれ
純粋に描く楽しさにたどり着けなかった旅路もまた
日々を描く毎日の中の癒しと気づきだったと理解したとき
これはわたしの永遠に続くWORK
描いて気づいて手を放して
ますます透明に満たされてゆく旅路のシェアリング
感じること
見つめること
受け取ること
手をはなすこと
そして
描き発すること
目には見えない時を大事に紡いでいくさきには?
ぜひ一緒にお楽しみください